きっちゅの音

思ったことを思った時に思ったように書きます。

本とラベンダーとしみ

本の匂い、と書いてあればきっと、紙の匂いやインクの匂い、古書特有の柔らかくほのかに甘い匂いや、あるいは新しいもののきりっとした匂いを思い出すだろう。

 

ぼくは、違った匂いを思い出す。

ラベンダーの香り。それが、ぼくの本の匂いだ。

 

どうしてそんなことになっているのかといえば、まず後ろに積まれた本たちを開いた時の話から。

 

ぼくは別にお金持ちではないので、少し前に出版された本は概ね中古を買う。中古であれば、文庫本が300円ほどで買えるので、新品1冊分のお金でなんと2冊買える。

だからよく中古で本を買うわけだが、そうしてある日買った本の一冊から、黒い点が動いた。

 

はじめは埃か何かだと思っていたのだが、それはどうやら意思を持っているようで、紙面を縦横無尽に動き回り始めた。

それが点ではないことに気づいたぼくは、慌ててティッシュを数枚取り、五分の魂を殺すに至った。

 

その後で調べたところ、それはチャタテムシという虫のようで、本の中に住む虫ということだった。本の虫、と言えば今まで書痴のこととしか思っていなかったが、この一件からぼくの本の虫が本当に虫になった。

 

この経験から、本の虫には一層の注意を払うことになったのだが、何より強烈だったのは、検索したページに記されていた、同じく本の虫の種類に「シミ」という虫を見たことだった。

 

シミ。漢字で書くと紙魚という字を書くらしい。紙の魚とは何という美しい名前だろうか。紙で出来た魚なのか、紙を泳ぐ魚なのか、センスが光る名前だと思った。

 

そして、少しわくわくしながらその画像を見ると、文字通り光っていた。銀色の平たいそいつは蛇腹状で、紙の上をまあまあ素早く動くらしく、そして何より1cm以上と大きい。

 

ぼくは嫌悪どころか恐怖を覚えた。

読書をしていてページをめくった先に、こんなものがいたらぼくは泣き出すだろう。紙の魚は大口を開けてぼくを飲み込むのを待っているのだ。

 

半ば泣きそうになりながら対処法を調べると、どうやらこのシミというやつはラベンダーの香りが苦手らしい。

なるほど、ラベンダーか。ぼくは即決でラベンダーのオイルを購入した。

 

迷える者よ、ラベンダーオイルを紙に数滴垂らして染み込ませ、それを本のあたりに置いておくと良い。さすれば、道は開ける。

そう、見ず知らずの電子のカミは言っていた。

 

ぼくは神託を得るがまま、紙にラベンダーオイルを垂らして、それを積んでいる本の上に洗濯バサミで留めた。

 

ぼくは実際にシミに会ったことはないから、シミがどんなやつなのかまるで知らないし、シミではないから、本当にラベンダーの香りが嫌いなのかも知らない。

でもきっと、会ったら泣き出すことは間違いない。

 

だから、ぼくは情報をただ信じて、災厄が来ないようにそのささやかな儀式を時々行なっている。

 

本の上に設置した紙が乾き切っているのを見ると、小さな瓶を取り出してきて、ラベンダーを紙に垂らして、慣らす。

何度も繰り返していると、儀式というものは形式化していくもので、段々とその儀式にはルールができはじめた。

 

10滴。一度に10滴を紙の上に垂らす。

瓶のお尻をとんと突くと、ラベンダーがぽたぽたと垂れていく。ぼくはそれを、ひとつ、ふたつ、みっつと数えていく。そして、じゅうを数えると、瓶を立てて、紙を傾けて、ラベンダーを慣らす。

 

別に10という数字に意味なんてない。ただ、キリ番だから。それだけだと思う。

しかし、10を数えること。落ちていくラベンダーに小さな祈りを込めながら、ひとつずつ、落ちていく砂粒のように時間を数えること。

それが、ただ、何となく落ち着くのだ。

 

ぼくには、この儀式に意味があるのかどうか分からない。そういう観点では、雨乞いとか他の儀式と変わらないのだろう。

いつ降るか分からない雨を祈る雨乞い。一生会わないようにと祈りながらラベンダーを降らす儀式。

 

ぽたぽたと落ちる雫は、紙の上に降って、染みとなっていく。

ぼくはその染みを、10数える。

 

ぽた。ぽた。ぽた。ぽた。ぽた。ぽた。ぽた。ぽた。ぽた。ぽた。

 

ぼくの本の匂いは、ラベンダーの匂い。